
みーんみーんみーん…。
しゃわしゃわしゃわ…。
かなかなかな…。
みーんみーんみーん…。
しゃわしゃわぴこぴこ…。
かなかなかな…。
みーんみーんみーんしゃわしゃわしゃわぴこぴこかなかな…。
…そろそろ間違いに気づいただろうか。
寝転がって、海を見ていた。
ずっと遠くまで広がる青と白。
海の青と、空の青。
水平線から沸き立つ白い雲。
その白い雲の下あたりにがおがお言ってる大きな恐竜の幻が見えてきたあたりで、俺は自発的に生命の危機を悟った。
「うーみーはーひろいーなー…おーき…ぃ…なー…」
せめて意識だけでも続かせようと歌っている歌も、さながら受信状態の悪いラヂオのように途切れ途切れになって、むなしく響いた。
俺にとって非常に不都合なことだが、空腹はいつも意識していない時にやってくる。
―――毎日のことなので、慣れたといえば慣れたのだが。
今日も今日とて海を眺めている時に、俺は空腹のあまり倒れた。
こういう時にどうしなければならないかは、この町にいるよりも長い放浪期間の経験上、身に染みてわかっている。
動いてはいけない。
じっと、アスファルトの上に横たわって、死んだ目で通りを見つめていれば、何とか一食分の食い扶持ぐらいは稼げるものだ。
この際、人としてとか、人形使いとしてとかのプライドは捨てる。
だがしかし、現在の状況は、最早経験則では対応できない事態にまで進展してしまったようだ。
〜思い出フラッシュバック開始〜
「ぴこ?」
(……ああ、ポテトか…)
ぶっ倒れて動けない俺にポテトがにじり寄る。
「ぴこぴこ☆」
(うわ…よせ……やめろ毛玉駄犬っ)
そしてそれは俺の頭によじ登ろうとする。
「ぴこっ」
(毛が…肉球が……ああついで腹部が)
「ぴっこり」
そしてポテトは器用にも側頭部上に座ったのであった。
〜思い出フラッシュバック終了〜
俺は空腹時に頭上で得体の知れない生物がいる時にどうすればいいのかは知らない。
知っている奴がいたら是非教えてくれ。
「うーみー、に…おふねーを…うかばーせ…て…、イーっ、て、みたい、な…黄泉の…く、に……」
「ぴこぴこぴ〜こ〜♪」
俺が必死で歌う物騒な歌にも、毛玉生物は上機嫌でリズムを合わせている。
それにあわせて側頭部で微妙に揺れているのがうざったくてしょうがない。
さりとて今は、振り払うだけの体力すらも消耗するのは惜しい。
運命を甘受すべきか、敢然と立ち向かい死を迎えるか…。
俺がそんな安っぽいヂレンマの海で(精神的に)のた打ち回っている間も、毛玉はやはりゴキゲンだった。
ところで、冒頭の擬音からもわかってもらえるとは思うが、今は夏で昼間でセミが鳴いていて暑い。
だからと言ってはなんだが、俺の意識は必死の抵抗にもかかわらず、少しづつ薄れていった…。
〜走馬灯開始〜
あれは、俺が子供の頃、まだ寺に預けられていたときだったっけ…。
「往人さん?」
観鈴の声がだいたい後ろのほうからした。
〜走馬灯中止〜
「往人さん、お昼寝してるの?」
観鈴がのんきに訊ねる。
俺は答えない。
つーか、答えられない。
腹が減っている時に声を出すと、その振動が腹に響いて辛いからだ。
「往人さん…?」
そんな俺の様子に、ようやくながら観鈴は少し心配になってきたようだ。
俺の周りをうろうろしたり、じーっと屈みこんでいたりする気配が伝わってくる。
「だいじょうぶ?」
「……」
―――いままで居候として迷惑をかけてきたんだ。腹が減ったくらいで観鈴に心配をかけるわけにはいかないな…。
ということで、俺は必死の意思伝達を試みることにした。
栄光ある意思伝達部位に選ばれたのは、何とか観鈴からも目視できる位置にある左手の小指だ。
残った体力のほぼ全てをかけて、小指を動かした。
…ぴこ。
「あれ? 往人さんのところで何か動いてる」
ぴこぴこ。
「なにかな…」
「ぴこ?」
「あ、毛玉犬」
「ぴこぴこ」
「毛玉犬、かわいい」
「ぴこ〜☆」
〜走馬灯再開〜
してしまう前に、俺は伝達手段を変えることにした。
やはりここは声か。
…いや、腹に響くあのいやな感じはそうそう経験したいもんじゃない。
あの駄犬には影響されず、なおかつ観鈴に伝えることができる手段と言うと…。
一つだけあった。
俺は右手にありったけの「念」を送り込むと、尻ポケットに入っているはずの人形にそれを送り込んだ。
運良く駄犬の攻撃を免れた人形は、ふわ…、と動き始めた。
ひょこっ…、ひょこ…ひょこ…。
「あれ? 往人さんの人形が動いてる」
ひょこひょこ。
「うん、往人さんの人形、かわいい」
観鈴も気づいてくれたようだ。
早速、何とか意思を伝達しようと念を送り込む…。
「ここで駄目押しにジャンプ」
ぴょんっ。
「にははっ、よくできました」
つくづく自分の芸人根性が恨めしい。
「え…それはおいといて…、ふんふん、お腹が痛いから…じゃなくて、お腹が空いたから…って、往人さんお腹空いてるの?」
人形の首を縦に振らせる。
どうやらちゃんと言いたいことは伝わっているようだ。
人形のジェスチャーだけなのにちゃんと理解してくれる観鈴が、この瞬間だけはちょっと頼もしかった。
「えっと…、ごめん、今食べるもの何も持ってない」
いいからなんとかしろ。
「往人さん、ちょっと言葉乱暴」
ごめんなさいどうかなんとかしてくださいおねがいします。
「土下座されてもわたしが困るよ…。とりあえずお家に帰る?」
つれていってください。
「わかった、それじゃ往人さん、わたしの肩につかまって」
うごけません。
「動けないの? …え、お腹が空いたから?」
し に そ う
「わっ、往人さんの人形が今にも飢えて死にそうな動きに!」
も う だ め
がくっ。
「うわわっ…、往人さんの人形が芝居っ気たっぷりに倒れちゃった…。みすずちん、実は結構ぴんち」
「……」
「と、とりあえず、往人さんをお家につれて帰らないと。…よいしょ」
ずる…ずる…ずる……。
「ううっ、往人さん結構重い」
どさっ。
「……」
「はあ…」
観鈴は俺の横にすっと座って、さっきまでの俺と同じように海を見つめていた。
潮風が観鈴の長い髪をさらさらと揺らしている。
そんな、誰しもがすこし嬉しくなるような自然の中で、観鈴はすこしだけ悲しそうだった。
「どうしよう…。誰かに手伝ってもらいたいけど、周りに誰もいないし…」
「……」
ぽんっ、と、右頬に観鈴の手の感触。
「それに、そういうこと頼める人、わたし、往人さんとお母さん以外に知らないし……」
「……」
「お母さん今仕事だし…。どうしよう」
「……」
夏の太陽は燦々と普く人々を照らす。
その熱のせいか、或いは別の理由からか、観鈴の額には汗が浮かんでいた。
「あ、そうだ。裏の三軒となりの吉田さんちなら、確か大八車が置いてあったはず」
「……」
「往人さん、ちょっと待っててね。すぐに大八車と、あと何か食べ物持ってくるから」
俺は、立ち上がる観鈴に、見えなかったかもしれなかったが、気力の全てをかけた笑顔を向けた。
―――それが、精一杯の礼だった。
「あーるー晴れたー、ひーるー下がりー」
「ぴーこーぴーこぴこーぴーこー」
「……」
「にーばーしゃーがー、ごーとーごーとー、ゆーきとさんを乗せーていくー」
「ぴこぴこぴーこーぴーこー」
「観鈴」
「うん?」
「その歌は止めてくれ。なんか切なくなる」
「…実をいうと、わたしもちょっとだけそう思う」
「ぴこぴこ」
観鈴がどこからかもってきた例のサイズのおにぎりを平らげた後、俺は観鈴が引っ張る大八車にお世話になっていた。
ごとごとという大八車の振動が、背中の裏から直に伝わってくる。
この状態のまま、まっすぐ前を見ると、車体の枠で四角く区切られた空が見えた。
「うーん、絶景かな」
「ぴこ」
と、ついさっきまで俺の命を奪いかねなかった駄犬が、生意気にも視界を遮る形で立ち上がった。
俺はそれをむんずと掴む。
「ぴこ?」
次の瞬間、俺の腕は駄犬を仰角45度でほおり投げていた。
「ぴ〜〜〜〜〜〜こ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜……」
「さらば駄犬。お前のことは明日になったらきっぱり忘れるよ」
嗚呼、身体に力がみなぎっていることの素晴らしさよ。
俺は無意味に上腕二頭筋を誇張し、一人ほくそえんだ。
「往人さん…、ちょっと怖い」
「何を言うか。腕力は男の二番目の武器だ」
「一番目は?」
「この美貌」
俺は、にかっと爽やかスマイルで観鈴を悩殺した。
……がらがらがらがらがら。
「無視するな」
「往人さん、暑いから変になっちゃった」
「俺はいつもの俺だぞ」
「それはそれで、もっと怖いよ」
「ぬう…」
大八車は転がる。
ここから見える空の様子からだと…、多分、神尾家の方向へ。
「往人さん?」
「ん」
「結局、稼げなかったんでしょ」
「そんなことはないぞ。せかせか忙しい現代人には経験できない時間を堤防で過ごさせてもらった」
「…お腹が空いてて倒れてたくせに」
ぽかっ。
「イタイ…」
ちょっと涙目の観鈴。
「そういうことする往人さんには、晩御飯食べさせてあげない」
「ごめんなさいもうしません…て、はっ?」
気がつくと俺は土下座をしていた。
反射的に謝ってしまう自分が悲しい。
…それとも、ヒモ生活が板に慣れてきてしまったのか?
「嫌だ。それだけは嫌だ」
「往人さん、何が嫌なの?」
「ヒモ」
「うーん…、お家の中には嫌になるような紐は無かったと思うけど…」
嗚呼、働けど働けど、なお我が暮らし楽にならざり、じっと手を見る…、か。
今ならあのときのサラリーマン男性(41)の言葉もわかるってものだ。
…でも、俺のしていることって、なんだろう?
今までも、そして多分これからも、俺は人形を使って生きていくんだと思う。
誰かに笑顔を与えて、そうやって生きていくこと。それが人形使いとしての俺の生き方だと思う。
ただ、今までと、これからの違いは、………。
「往人さん」
「なんだ」
「晩御飯、なににしよっか」
「そうだな…。俺は腹にたまれば何でもいいが」
ここでこっそりポケットから人形を取り出す。
「スーパー往人に訊いてみないとな」
「す…すーぱー往人さん?」
しゅばっ! と人形をセッティングする。
人形は俺の手を離れて、観鈴の肩に登る。その動きに合わせ、俺は深夜の秘密訓練で会得した腹話術で喋った。
『寿司だ! 寿司! スシ!』
「え…、お寿司?」
『そうだ寿司! いいから寿司だ! 観鈴』
…完璧だ。完璧すぎて自分でも感動を禁じえない。
俺の目に喜びの涙が光る。
「と言うことで今夜の飯は寿司だ」
駄目押しの一言。
これで観鈴も今夜は寿司を取る気になっただろう。
……そう言えば、前に寿司食ったのって何年前だ?
「にはは…」
「ん?」
「このCM、わたし前にテレビで見た」
がーーーん!
そうだ…そうだったこいつは根っからのテレビッ子だった。
そのテレビで仕入れたネタが、テレビマスター・神尾観鈴に通用するわけがなかった。
今度から気をつけるか…。
と、俺が決意を新たにしながら観鈴を見ると、
観鈴は笑ってくれていた。
「でも、お寿司はちょっとたかいかな」
「あー、別に寿司じゃなくてもいいんだが」
「それだと、すーぱー往人さんが…」
「奴は俺が説得しておく」
といいつつ、観鈴の肩から人形を戻す。
「じゃあ晩御飯何にしようか…」
「ん〜…」
まだ日も高いうちから晩御飯の相談をする二人。
「今日ぐらいは観鈴が作るってのはどうだ」
「いつも私が作ってる…」
「そうだったか」
「それに、いつも作ってないのは往人さんのほう」
「む…」
話がまずい流れに傾きつつある。
「だから、今日の晩御飯は、往人さんの当番」
「当番なんて物は最初からないぞ」
「往人さんのお料理、楽しみ。にはは」
「くそ…」
俺は、大八車の上にどかっと横になる。
「おっと」
そういえば、さっきからずっと俺は観鈴に引っ張られていたわけだ。
それに気がついた俺は、大八車から降りた。
「ん?」
荷物が急に軽くなる感触に、観鈴が振り向く。
「往人さん、降りたの」
「ああ」
「往人さん、具合悪いようだったから、ずっと乗ってても良かったのに」
「いつまでも、観鈴に頼りっぱなしって訳にもいかんだろ」
「往人さん…」
「ほれ。大八車、貸せ」
見上げると、空はいつもそこにある。
目を閉じても、それは、風となって、その存在を知らせてくる。
だから、空を無視しようとは思わない。ただ、もうそれに縛られるのはやめようと思ったまでのこと。
そうすることは、別に後ろ向きのことではなく、むしろ前向きなことだと俺は思っている。
―――歩きつかれて、後ろで座っている観鈴を引きながら、そう思った。
みーんみーんみーん…。
しゃわしゃわしゃわ…。
かなかなかな…。
みーんみーんみーん…。
しゃわしゃわしゃわ…。
かなかなかな…。
みーんみーんみーんしゃわしゃわかなかなかな…。
…また熱射病になる所だった。
END
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